3 生活のリズム
一日を静かに始め、元気に過ごしたあと、静かに終えることが大切です。
一日が二四時間なのは、太陽の運行に拠っています。月の運行に拠れば、二四時間五〇分になります。人間の生命活動は月のリズムに従っています。
二四時間の生活に合いはじめるのは生後三ヵ月ぐらいからで、すっかり慣れるのは五〜六歳になってです。
一日の時間割・一週のスケジュール
子どもは一般に午前七〜一〇時ごろが活発で、それから正午まではゆったりした時間、そして午後二時ごろまで静かな時間が必要です。二時から四時ごろ、また活発になり、現代の欧米のお医者さんたちの一致した意見によれば、午後七時が就寝に適した時刻です(午後六時ごろから、内臓は眠る準備態勢に入るそうです)。
夕食は夕方、日があるうちに食べるもので、日が落ちてから食べるのは夜食です。欧米の医師たちの意見だと、夕食は四時から食べはじめて五時までに終わるのが一番いいそうです。いま述べたように、幼稚園・保育園の時期は、子どもの就寝時間は七時です。小学校低学年なら、七時〜八時に就寝です(大人の場合、健康によいのは九〜一〇時就寝、五〜六時起床だそうです)。
子どもの就寝前には、きれいな詩や、お話・歌・音楽(もちろん親の生演奏)など聞かせてあげるといいですね。
朝、起きるときも、きれいな詩か音楽を聞かせてあげるのがよいです。朝食は、ゆっくり摂れる時間の余裕があるようにしましょう。食事が、子どものしつけにとっては一番大事です。しつけは「躾」と書きますね。美しい姿勢と所作で食事をしたいものです。
朝は思考、午後は意志、夜は情緒に適した時間ということは、だれもがわかると思います。大きくなれば、朝に学び、午後に屋外で体を使い、夜は美的・芸術的な体験の時間にできます。
*
月曜・火曜・水曜・木曜・金曜、そして土曜・日曜。日曜は文字どおり「太陽の日」ですから、晴れ晴れしい気分になるのではないでしょうか。
日曜の朝は、いつもより綺麗な花がテーブルに飾ってあって、いつもよりご馳走の朝食で、家族で音楽を演奏するとか、特別の日にすると、一週のうちにアクセントが作られて、心がいきいきしてきます。
ちなみに、カレンダーには月曜はじまりと日曜はじまりのものがありますが、月曜の仕事から始まって週末が休みという感じよりも、まず特別の日曜があって、そのあと普段の仕事という感じの方が人間の心は元気になります。
日曜は生命の星 = 太陽、月曜は宇宙の鏡 = 月、火曜は強さの星 = 火星、水曜は癒しの星 = 水星、木曜は英知の星 = 木星、金曜は美の星 = 金星、土曜は記憶の星 = 土星のことを思って過ごすこともできます。
太陽は金、月は銀、火星は鉄、水星は水銀、木星は錫、金星は銅、土星は鉛に関連すると言われてきました。太陽はラの音で橙色、月はシの音で紫色、火星はドの音で赤、水星はレの音で黄色、木星はミの音で青、金星はファの音で藍色、土星はソの音で緑という感じです。
一年の経過
生命力を取り戻すのに季節の体験は大きな効力を発します。毎年おなじ行事を繰り返していると、安定した郷土感が生まれ、安心して暮らせるようになります。
地球は心的・星気的な呼吸をしており、息を吐き出しているのが春夏、息を吸い込んでいるのが秋冬です。地球は春夏に眠り、秋冬に目覚めます。
「華徳福教育の本質的な課題は、民族文化に結び付くことだ。西洋的な教育内容によって、小学生を自らの根から引き離してはいけない」という「植民地主義からの脱却」が教育・医学会議で確認されました(『ダス・ゲーテアヌム』二〇〇六年四一号)。「シュタイナー教育を日本に根付かせる」と言うとき、舶来品種を日本の土壌で育つように手を加えることと同様に、日本の生活のなかに息づいてきた知恵を現代的に開花させることが肝要だ、と私は考えています。
*
春は命の「張る」季節です。春の花が飛び散るときに疫病神が分散するというので、旧暦三月末は鎮花祭です。旧暦四月一日は衣替えです。
秋は「飽きる」ほど収穫があり、空が「明らか」です。旧暦八月一五日は仲秋の名月、十五夜の芋名月です。芋名月に続いて、旧暦九月一三日は十三夜(豆名月・栗名月)です。
冬は魂が「増ゆ」ときです。旧暦一〇月一日が衣替えです。新暦一一月二三日は新嘗祭。この日以降に、新米を食べます。旧暦では、一二月一三日から正月の準備を始めます。
*
東洋の天文学では、黄道を二八に区分して「二十八宿」を設けました。そして、黄経を二四等分して、一五度ずつの節目を設けたのが「二十四節気」です。
「立春」のあと、雪が雨に変わる「雨水」、虫が活動しはじめる「啓蟄」。「春分」は彼岸の中日です。それから、気持ちのよい「清明」、雨が穀物をうるおす「穀雨」。「立夏」のあと、草木が茂る「小満」、芒のある穀物の種をまく「芒種」。黄経八〇度の日が入梅です(梅の実が熟し、黴が生えるころなので、梅雨・黴雨と言います。旧暦で言えば五月雨で、梅雨の晴れ間が五月晴)。そして「夏至」、梅雨明けが近い「小暑」、「大暑」と続きます。立秋前の一八日間が夏の土用 = 暑中です。
「立秋」のあと、旧暦の七夕の翌日「処暑」に暑さが止み、台風襲来の二百十日があって、野草に露がやどる「白露」から秋気が加わります。「秋分」の前後七日間は秋彼岸。それから、肌寒くなる「寒露」、露が霜に変わる「霜降」です。
「立冬」のあと、冷え込む「小雪」「大雪」「冬至」。冬至には南瓜を食べたり、小豆粥を食べたり、柚子湯に入って、疫鬼を祓います。ついで、寒さ厳しい「小寒」が寒の入り、そして「大寒」です。
一年を七二に分けて季節の変化を示したのが「七十二候」です(五日ごとに、立春から「東風、凍を解く」「黄鶯なく」「魚、氷をいずる」、立夏からは「蛙はじめて鳴く」「蚯蚓いずる」「たけのこ生ず」、立秋からは「涼風いたる」「ひぐらし鳴く」「ふかき霧まとう」、立冬からは「つばき始めて開く」「地はじめて凍る」「金盞花さく」というふうに進みます)。
*
旧暦一月七日は七草。春の七草をいただき、七草粥の汁に手をつけて、爪を切ります。
旧暦三月三日は桃の節句で、終日、山遊び・磯遊びをし、流し雛で厄を祓います。
旧暦五月五日の端午の節句は、高温多湿の時期なので、菖蒲・蓬を軒に吊るして、邪気を祓います。「菖蒲」が「尚武」に通じるというので武者人形を飾るようになりました。
旧暦七月七日は七夕です。文運を司る魁(北斗七星の第一星)の誕生日です。鵲の橋を渡って織姫と彦星が会う日です。七本の針に糸を通したり、五色の短冊に和歌を書いて竹の葉に飾ります。
旧暦九月九日は菊の節句です。陽(奇数)の極み = 九が重なるので、重陽と言います。菊は霊薬です。前夜に菊に綿をかぶせ、九日の朝、その綿で体を拭くと、老いが去るそうです。
以上が、五つの節句です。
旧暦一一月一五日の七五三は、季節の祭というより通過儀礼で、遠くの有名神社ではなく、産土(鎮守)に行きます。
*
日本では「無我」が尊ばれてきましたが、キリスト教は「自我」の確立において神を体験しようとします。
「太陽の誕生日」として古代人が祝った冬至が、クリスマスになりました。原始キリスト教ではイエスの誕生日として、一月一日、一月六日、三月二七日などが候補にあがっていたのですが、四世紀にカトリックで一二月二五日と決定されました。
樅のリースに四本の蝋燭を付けて、待降節(クリスマス前の四週間)の日曜ごとに蝋燭に火を灯し、宗教的な話をして過ごします。
クリスマス・ツリーは、古代ゲルマン文化圏で冬至〜新年に常緑樹を飾る習慣があったのが、近世になってキリスト教に取り入れられたものです。一七世紀以前からアルザス地方で、部屋に樅の木を立てて、林檎や薔薇を飾っていました。薔薇や林檎を三三飾るのは、とてもきれいです。
シュタイナー学派では、独特の飾り付けのクリスマス・ツリーを作ります。人間を表わす五芒星・三角・四角、そして星々のしるしが螺旋状に配されており、古代の神話に登場する原初の「宇宙樹」を思い出させます。
聖夜は世間の喧噪から離れて、自分の心のなかに神が誕生するのを体験するような気持ちで過ごしたいものです。子どもたちが蜜蝋蝋燭を付けた林檎を手に持ち、樅の枝で作った渦巻き形の道を通って、中央の蝋燭から火をもらってくるのは、古代の奥深い森での秘儀のような印象を受けます。
サンタクロースは聖ニコラウス祭(一二月六日)の行事に由来します。聖ニコラウスは、四世紀〜五世紀の司教で、一二月六日が命日です。この聖ニコラウスが一二月六日に、子どもたちにプレゼントを配ることになっています。
子どもを殺して塩漬けにした肉屋に行ったニコラウスがその店にあった桶に指を触れると、殺された子どもたちが生き返って出てきたという伝説があります。また、貧しい親が娘三人の持参金を用意できずにいたとき、ニコラウスが金貨を煙突から投げ入れると、暖炉に干してあった靴下に入りました。こうして、娘は三人とも結婚できたそうです。これらの伝説から、彼は子どもの守護聖人、婦人の守護聖人になりました。
日本では今のアメリカと同じく、サンタクロースはクリスマスにやってくることになっています。子どもたちとクリスマスを楽しく過ごすことが大事なのであって、子どもの関心がプレゼントに集中しないようにしたいものです。
わが家では、サンタクロースを天界の霊魂存在と捉えています。子どもが寝ているあいだにサンタクロースがプレゼントを持ってくるのではなく、親がサンタクロースと相談して、子どもの願いに応じるようにしています。
春分のあとの満月のあとの日曜日が復活祭です。ギリシャや小アジアで神の死と復活が春分のころに祝われたのと同じです。ユダヤ教で、祖先のエジプト脱出を記念する過越祭のころでもあります。死と復活というテーマは子どもには難しいものですから、大自然の春の生命を喜ぶという感じがよいでしょう。
ヨハネ祭(六月二四日)は夏至のころです。古代ヨーロッパでは、夏至の前夜に火を焚いて、太陽に力を与えました。この夜には川や泉が治癒力を発揮する、と言います。
ミカエル祭(九月二九日)は収穫祭のころです。素朴な農夫の祭りでした。
以上が、キリスト教文化圏の四季の祝祭です。
一日を静かに始め、元気に過ごしたあと、静かに終えることが大切です。
一日が二四時間なのは、太陽の運行に拠っています。月の運行に拠れば、二四時間五〇分になります。人間の生命活動は月のリズムに従っています。
二四時間の生活に合いはじめるのは生後三ヵ月ぐらいからで、すっかり慣れるのは五〜六歳になってです。
一日の時間割・一週のスケジュール
子どもは一般に午前七〜一〇時ごろが活発で、それから正午まではゆったりした時間、そして午後二時ごろまで静かな時間が必要です。二時から四時ごろ、また活発になり、現代の欧米のお医者さんたちの一致した意見によれば、午後七時が就寝に適した時刻です(午後六時ごろから、内臓は眠る準備態勢に入るそうです)。
夕食は夕方、日があるうちに食べるもので、日が落ちてから食べるのは夜食です。欧米の医師たちの意見だと、夕食は四時から食べはじめて五時までに終わるのが一番いいそうです。いま述べたように、幼稚園・保育園の時期は、子どもの就寝時間は七時です。小学校低学年なら、七時〜八時に就寝です(大人の場合、健康によいのは九〜一〇時就寝、五〜六時起床だそうです)。
子どもの就寝前には、きれいな詩や、お話・歌・音楽(もちろん親の生演奏)など聞かせてあげるといいですね。
朝、起きるときも、きれいな詩か音楽を聞かせてあげるのがよいです。朝食は、ゆっくり摂れる時間の余裕があるようにしましょう。食事が、子どものしつけにとっては一番大事です。しつけは「躾」と書きますね。美しい姿勢と所作で食事をしたいものです。
朝は思考、午後は意志、夜は情緒に適した時間ということは、だれもがわかると思います。大きくなれば、朝に学び、午後に屋外で体を使い、夜は美的・芸術的な体験の時間にできます。
*
月曜・火曜・水曜・木曜・金曜、そして土曜・日曜。日曜は文字どおり「太陽の日」ですから、晴れ晴れしい気分になるのではないでしょうか。
日曜の朝は、いつもより綺麗な花がテーブルに飾ってあって、いつもよりご馳走の朝食で、家族で音楽を演奏するとか、特別の日にすると、一週のうちにアクセントが作られて、心がいきいきしてきます。
ちなみに、カレンダーには月曜はじまりと日曜はじまりのものがありますが、月曜の仕事から始まって週末が休みという感じよりも、まず特別の日曜があって、そのあと普段の仕事という感じの方が人間の心は元気になります。
日曜は生命の星 = 太陽、月曜は宇宙の鏡 = 月、火曜は強さの星 = 火星、水曜は癒しの星 = 水星、木曜は英知の星 = 木星、金曜は美の星 = 金星、土曜は記憶の星 = 土星のことを思って過ごすこともできます。
太陽は金、月は銀、火星は鉄、水星は水銀、木星は錫、金星は銅、土星は鉛に関連すると言われてきました。太陽はラの音で橙色、月はシの音で紫色、火星はドの音で赤、水星はレの音で黄色、木星はミの音で青、金星はファの音で藍色、土星はソの音で緑という感じです。
一年の経過
生命力を取り戻すのに季節の体験は大きな効力を発します。毎年おなじ行事を繰り返していると、安定した郷土感が生まれ、安心して暮らせるようになります。
地球は心的・星気的な呼吸をしており、息を吐き出しているのが春夏、息を吸い込んでいるのが秋冬です。地球は春夏に眠り、秋冬に目覚めます。
「華徳福教育の本質的な課題は、民族文化に結び付くことだ。西洋的な教育内容によって、小学生を自らの根から引き離してはいけない」という「植民地主義からの脱却」が教育・医学会議で確認されました(『ダス・ゲーテアヌム』二〇〇六年四一号)。「シュタイナー教育を日本に根付かせる」と言うとき、舶来品種を日本の土壌で育つように手を加えることと同様に、日本の生活のなかに息づいてきた知恵を現代的に開花させることが肝要だ、と私は考えています。
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春は命の「張る」季節です。春の花が飛び散るときに疫病神が分散するというので、旧暦三月末は鎮花祭です。旧暦四月一日は衣替えです。
秋は「飽きる」ほど収穫があり、空が「明らか」です。旧暦八月一五日は仲秋の名月、十五夜の芋名月です。芋名月に続いて、旧暦九月一三日は十三夜(豆名月・栗名月)です。
冬は魂が「増ゆ」ときです。旧暦一〇月一日が衣替えです。新暦一一月二三日は新嘗祭。この日以降に、新米を食べます。旧暦では、一二月一三日から正月の準備を始めます。
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東洋の天文学では、黄道を二八に区分して「二十八宿」を設けました。そして、黄経を二四等分して、一五度ずつの節目を設けたのが「二十四節気」です。
「立春」のあと、雪が雨に変わる「雨水」、虫が活動しはじめる「啓蟄」。「春分」は彼岸の中日です。それから、気持ちのよい「清明」、雨が穀物をうるおす「穀雨」。「立夏」のあと、草木が茂る「小満」、芒のある穀物の種をまく「芒種」。黄経八〇度の日が入梅です(梅の実が熟し、黴が生えるころなので、梅雨・黴雨と言います。旧暦で言えば五月雨で、梅雨の晴れ間が五月晴)。そして「夏至」、梅雨明けが近い「小暑」、「大暑」と続きます。立秋前の一八日間が夏の土用 = 暑中です。
「立秋」のあと、旧暦の七夕の翌日「処暑」に暑さが止み、台風襲来の二百十日があって、野草に露がやどる「白露」から秋気が加わります。「秋分」の前後七日間は秋彼岸。それから、肌寒くなる「寒露」、露が霜に変わる「霜降」です。
「立冬」のあと、冷え込む「小雪」「大雪」「冬至」。冬至には南瓜を食べたり、小豆粥を食べたり、柚子湯に入って、疫鬼を祓います。ついで、寒さ厳しい「小寒」が寒の入り、そして「大寒」です。
一年を七二に分けて季節の変化を示したのが「七十二候」です(五日ごとに、立春から「東風、凍を解く」「黄鶯なく」「魚、氷をいずる」、立夏からは「蛙はじめて鳴く」「蚯蚓いずる」「たけのこ生ず」、立秋からは「涼風いたる」「ひぐらし鳴く」「ふかき霧まとう」、立冬からは「つばき始めて開く」「地はじめて凍る」「金盞花さく」というふうに進みます)。
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旧暦一月七日は七草。春の七草をいただき、七草粥の汁に手をつけて、爪を切ります。
旧暦三月三日は桃の節句で、終日、山遊び・磯遊びをし、流し雛で厄を祓います。
旧暦五月五日の端午の節句は、高温多湿の時期なので、菖蒲・蓬を軒に吊るして、邪気を祓います。「菖蒲」が「尚武」に通じるというので武者人形を飾るようになりました。
旧暦七月七日は七夕です。文運を司る魁(北斗七星の第一星)の誕生日です。鵲の橋を渡って織姫と彦星が会う日です。七本の針に糸を通したり、五色の短冊に和歌を書いて竹の葉に飾ります。
旧暦九月九日は菊の節句です。陽(奇数)の極み = 九が重なるので、重陽と言います。菊は霊薬です。前夜に菊に綿をかぶせ、九日の朝、その綿で体を拭くと、老いが去るそうです。
以上が、五つの節句です。
旧暦一一月一五日の七五三は、季節の祭というより通過儀礼で、遠くの有名神社ではなく、産土(鎮守)に行きます。
*
日本では「無我」が尊ばれてきましたが、キリスト教は「自我」の確立において神を体験しようとします。
「太陽の誕生日」として古代人が祝った冬至が、クリスマスになりました。原始キリスト教ではイエスの誕生日として、一月一日、一月六日、三月二七日などが候補にあがっていたのですが、四世紀にカトリックで一二月二五日と決定されました。
樅のリースに四本の蝋燭を付けて、待降節(クリスマス前の四週間)の日曜ごとに蝋燭に火を灯し、宗教的な話をして過ごします。
クリスマス・ツリーは、古代ゲルマン文化圏で冬至〜新年に常緑樹を飾る習慣があったのが、近世になってキリスト教に取り入れられたものです。一七世紀以前からアルザス地方で、部屋に樅の木を立てて、林檎や薔薇を飾っていました。薔薇や林檎を三三飾るのは、とてもきれいです。
シュタイナー学派では、独特の飾り付けのクリスマス・ツリーを作ります。人間を表わす五芒星・三角・四角、そして星々のしるしが螺旋状に配されており、古代の神話に登場する原初の「宇宙樹」を思い出させます。
聖夜は世間の喧噪から離れて、自分の心のなかに神が誕生するのを体験するような気持ちで過ごしたいものです。子どもたちが蜜蝋蝋燭を付けた林檎を手に持ち、樅の枝で作った渦巻き形の道を通って、中央の蝋燭から火をもらってくるのは、古代の奥深い森での秘儀のような印象を受けます。
サンタクロースは聖ニコラウス祭(一二月六日)の行事に由来します。聖ニコラウスは、四世紀〜五世紀の司教で、一二月六日が命日です。この聖ニコラウスが一二月六日に、子どもたちにプレゼントを配ることになっています。
子どもを殺して塩漬けにした肉屋に行ったニコラウスがその店にあった桶に指を触れると、殺された子どもたちが生き返って出てきたという伝説があります。また、貧しい親が娘三人の持参金を用意できずにいたとき、ニコラウスが金貨を煙突から投げ入れると、暖炉に干してあった靴下に入りました。こうして、娘は三人とも結婚できたそうです。これらの伝説から、彼は子どもの守護聖人、婦人の守護聖人になりました。
日本では今のアメリカと同じく、サンタクロースはクリスマスにやってくることになっています。子どもたちとクリスマスを楽しく過ごすことが大事なのであって、子どもの関心がプレゼントに集中しないようにしたいものです。
わが家では、サンタクロースを天界の霊魂存在と捉えています。子どもが寝ているあいだにサンタクロースがプレゼントを持ってくるのではなく、親がサンタクロースと相談して、子どもの願いに応じるようにしています。
春分のあとの満月のあとの日曜日が復活祭です。ギリシャや小アジアで神の死と復活が春分のころに祝われたのと同じです。ユダヤ教で、祖先のエジプト脱出を記念する過越祭のころでもあります。死と復活というテーマは子どもには難しいものですから、大自然の春の生命を喜ぶという感じがよいでしょう。
ヨハネ祭(六月二四日)は夏至のころです。古代ヨーロッパでは、夏至の前夜に火を焚いて、太陽に力を与えました。この夜には川や泉が治癒力を発揮する、と言います。
ミカエル祭(九月二九日)は収穫祭のころです。素朴な農夫の祭りでした。
以上が、キリスト教文化圏の四季の祝祭です。