2011年春、命と引き換えに原発事故を収束させようと祈念したら、心不全になった。
2012年は2月と6〜7月に、胸水貯留のため日医大北総病院に入院した。7月にカテーテルで心室の組織を採取して生体検査をしてもらい、アミロイドーシスとの診断が確定した。異常蛋白質がさまざまなところに蓄積する難病で、私の場合は心臓に蓄積して心筋が変性している。心アミロイドーシスの平均余命は、発症から8ヶ月だそうである。8月2日の診察のとき、「いま生きているのがおかしい」と主治医に言われた。
アミロイドーシスには、免疫グロブリン性・反応性・老人性・家族性があり、反応性以外が国の特定疾患治療研究事業の対象になる。私は免疫グロブリン性である。反応性というのは、骨髄腫・関節リウマチ・結核などに続発するものである。
アミロイドーシスには治療法がないのだが、8月6日から、多発性骨髄腫に用いるベルケイドの静脈注射が始まった。4週間が1クールで、そのあと1週休んで、9月10日から第2クールに入った。回を重ねるごとに副作用が強くなって、ほぼ飲食不可能になり、ときどき気を失って倒れるようになった。海外の資料によると、第2クールまで投与すると効果が現われるということだったので、そこまでは頑張りたいと思っていたのだが、第2クール4週目の注射のまえに、もうここまででいいという気持ちになり、10月1日から、レブラミドの服用にかえてもらった。薬効はベルケイドより劣るが、副作用は軽くなる。3週が1サイクルで、そのあと1週間休んで、また3週である。
9月21日付で、身体障害者手帳3級を交付された。「家庭内の日常生活活動が著しく制限される心臓機能障害」と記されている。同月26日、特定疾患受給者票を交付された。12月13日には、障害基礎年金2級(病状が日常生活に著しい制限を加えるもので、日常生活が極めて困難な程度のもの)の受給が決まった。
要介護の両親のことを考えると、私は一人子なので、寛解にいたればありがたい。そうならなければ、身体を離れて天空を飛行しよう。西川家の墓は三十三間堂南西の専称寺にある。戒名は自作した。慈光隆範禅定門。
2013年4月30日、循環器内科の診察に行ったら、鬱血性心不全で、そのまま入院になった。ドレーンで胸水を吸引してもらったが、水を抜いたあと数日で肺の半分までまた水が溜まった。「病院にいてもこれ以上よくならないので、いったん退院して、必要に応じて再入院」ということになり、5月18日に退院した。5月15日にはシュタイナー派の牧師が病院に来てくれ、終油について説明してくれた。彼が言うには、終油は明瞭な意識を保って彼岸に赴くために行なうのだそうである。秋に麺麭と葡萄汁を持ってきてくれることになった。
6月13日、循環器内科の診察のとき、特定疾患医療受給者票を重症認定にしようか、と主治医に言われた。同24日、血液内科の診察に行ったら、レブラミドが効いていないのでベルケイドに戻ることになった。2012年12月に副作用による治療断念が減少する皮下注射が認可されたので、今度は皮下投与になる。
20130712
2012年は2月と6〜7月に、胸水貯留のため日医大北総病院に入院した。7月にカテーテルで心室の組織を採取して生体検査をしてもらい、アミロイドーシスとの診断が確定した。異常蛋白質がさまざまなところに蓄積する難病で、私の場合は心臓に蓄積して心筋が変性している。心アミロイドーシスの平均余命は、発症から8ヶ月だそうである。8月2日の診察のとき、「いま生きているのがおかしい」と主治医に言われた。
アミロイドーシスには、免疫グロブリン性・反応性・老人性・家族性があり、反応性以外が国の特定疾患治療研究事業の対象になる。私は免疫グロブリン性である。反応性というのは、骨髄腫・関節リウマチ・結核などに続発するものである。
アミロイドーシスには治療法がないのだが、8月6日から、多発性骨髄腫に用いるベルケイドの静脈注射が始まった。4週間が1クールで、そのあと1週休んで、9月10日から第2クールに入った。回を重ねるごとに副作用が強くなって、ほぼ飲食不可能になり、ときどき気を失って倒れるようになった。海外の資料によると、第2クールまで投与すると効果が現われるということだったので、そこまでは頑張りたいと思っていたのだが、第2クール4週目の注射のまえに、もうここまででいいという気持ちになり、10月1日から、レブラミドの服用にかえてもらった。薬効はベルケイドより劣るが、副作用は軽くなる。3週が1サイクルで、そのあと1週間休んで、また3週である。
9月21日付で、身体障害者手帳3級を交付された。「家庭内の日常生活活動が著しく制限される心臓機能障害」と記されている。同月26日、特定疾患受給者票を交付された。12月13日には、障害基礎年金2級(病状が日常生活に著しい制限を加えるもので、日常生活が極めて困難な程度のもの)の受給が決まった。
要介護の両親のことを考えると、私は一人子なので、寛解にいたればありがたい。そうならなければ、身体を離れて天空を飛行しよう。西川家の墓は三十三間堂南西の専称寺にある。戒名は自作した。慈光隆範禅定門。
2013年4月30日、循環器内科の診察に行ったら、鬱血性心不全で、そのまま入院になった。ドレーンで胸水を吸引してもらったが、水を抜いたあと数日で肺の半分までまた水が溜まった。「病院にいてもこれ以上よくならないので、いったん退院して、必要に応じて再入院」ということになり、5月18日に退院した。5月15日にはシュタイナー派の牧師が病院に来てくれ、終油について説明してくれた。彼が言うには、終油は明瞭な意識を保って彼岸に赴くために行なうのだそうである。秋に麺麭と葡萄汁を持ってきてくれることになった。
6月13日、循環器内科の診察のとき、特定疾患医療受給者票を重症認定にしようか、と主治医に言われた。同24日、血液内科の診察に行ったら、レブラミドが効いていないのでベルケイドに戻ることになった。2012年12月に副作用による治療断念が減少する皮下注射が認可されたので、今度は皮下投与になる。
20130712